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2015年5月19日火曜日






森鴎外の「蛇」というより、夏目漱石の「蛇」を参照して作っている。






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海の防波堤でかなり先のほうまで歩いていた。
たも(網)を杖みたいにしていたら、乗っかるようによろけて、あやうく海に落ちそうになる。荷物を落とすか危ないところだった。
本当に防波堤から海に潜ったひとからみたら無難な話かもしれないが、一瞬のよろめきで落ちそうになるのは、別種の恐怖だったといえる。
なにより、荷物を海に落とすのは、想像してみるといい、嫌な気分になるとともに実害があり、海を汚すことにもなるし、とりもどそうと欲張ると、やな重労働をしなくてはないのである。
考えてみるだけで嫌だ。
だが、そうならなかったたのだし。
そう考えなおし、ほっとしてみる。

釣り人は二三名。
やや固まってあっちで釣っている。
自分も反対側に糸を垂らして釣り始めたが、やがて海を眺めていた。
海の水は別世界をあらわしている。
自分たちと常識の違う海の生き物の世界。
そこには人情と違う人情があり、社会生活をしている自分と違う藍色のきびしさがあるのだった。
その境界線が防波堤だった。

「あっ、大きい魚が見える」
それは海面よりやや深い位置を泳ぐシーラカンスのような大きな魚だった。
たもを入れるのも不気味だし、カレイならいいのだが、この魚が針にかかったりしたら気持ちが悪いのだった。
蛇がおよいでいるような、ウツボではないようだが、得体のしれない様が図鑑でみたシーサーペントの絵具絵みたいにみえた。
博物館にあるシーラカンスのようなさまは「ひいひいお爺さん」にみえてきた。
それは恐ろしくなる。
海の生き物なら気にしなくてよいのだが、人間相手の神経をつかわずにはいられない。
頑固で自分たちと違う時代を生きた老人の険しさ。
自分たちをうるさそうに逃げて、あっちで一人孤独に顔をそむけているような。
実際人間の胎児は魚類、両生類、爬虫類、哺乳類と進化するというではないか。
あの魚は本当に自分たちのひいひいお爺さんなのだ。
「おおい、お爺さん、そんな藍色の海の中で一人で何をしているんだ!?人間をやりなよ」
余計なお世話だろう。
無言で無視して魚はあっちの方にいってさらに見えなくなった。









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