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2015年5月25日月曜日

サイドミラー


サイドミラー


サイドブレーキをかけて、エンジンを止める。
ホーマックの駐車場は車でいっぱいだ。
サイドミラーにはジーンズをはいて、日焼けした女が映っている。
「さっきの話だけどね。運転している間だまってろっていわれたから、だまってたけど」
がなりたてる。
この女を乗せて運転するのはF1か戦闘機のパイロットなみだとおもう。
ああ、そうさ。
みてみろ、自動車の運転なんて溢れるほどの人が運転している。
だからホーマックの駐車スペースは満タンなんだ。
戦闘機の操縦の方が地上でナビする兄貴がいてくれる。
ああ、そうともさ。










抹茶



抹茶






1



私の仕事は図書館の司書だ。
一般公共図書館の専門職員で図書館法第4条に定められた資格を取得した。
学生のときの自分は、『あんな人実際にいない』だ。
自分は確かにここにいるのに、存在しない、ありえない。
どういう意味だろうと思ったが卒業した。

私(サナコ)は図書の返却、貸出、整理、保管、掃除などなんでもする。
以前は民間企業の一般清掃の業者が清掃をしてくれていたが、ある営業マンがやってきてこの公立図書館にもプロジェクトがはじまった。
そのプロジェクトに予算をさいたため、当分業者を断って自分たちで清掃業務や掃除機かけをしている。

図書の数はものすごい数におよび、タイトルを体系的に分類するとなると膨大な作業になる。
分類しようとしても整理しつくせるものでないとさとる。
この図書館は結構な広さだ。
ただ単に本棚に本があるのではなく、コーナーをもうけて、いってみれば迷路のような奥行きを出そうというプランなのだ。
それは私の意見でもなく、図書館の司書の誰かのプランでもない。
営業マンがもってきた、民間企業が制作したプランなのだ。
あいてはプロだけあってカタログからノウハウまで完ぺきだった。
向こうはビジネスでやっているだけに、さすがこれならと思えるシステムを売ってくる。
私には到底無理だろうけどくやしいわけもなかった。

新聞やニュース番組のように今の時代、世のなかでなにがおきているのか、『リアルはどこでつくられている?』みたいなコーナーには、現代を把握できる新刊書、新聞、雑誌などがタイトルされる。
『現代人の考え方』みたいな、思想、現代人の哲学などの本もある。
このコーナーにはいりこむと今の時代が見えてくるというプランらしい。
書店にいってタイトルだけみてまわるとか、テレビニュースに首を突っ込むとか、新聞を閲覧するとか、最新兵器のインターネットをザッピングするとかでも同じことだろうけど、この図書館では独特の世界のリアルが把握できるはずだ。

ちなみに『』の中はうちの図書館にある本のタイトルだ。
※実際にあるというわけではありません。ないともいえない。



2



「あー、この本で最後だ」
『万が一のリスクがあるから、その会社はリッチなのだ』という本を棚に収める。
このコーナーは狭い範囲をぐるりとかこんだへこみにつくられた。
送られてきたカタログをみくらべながら、配置を決めて、ポリバケツでぞうきんがけをして、本を納めていった。

「えーと、なんなんだろう。このコーナーの趣旨は」
サブタイトルは安定した鉄に光はないだ。
「サナコさん、こっちも手伝って」
「へーい」

「ただ今工事中」の看板でふさいであっちを手伝いにいく。

営業マンのひとがやってきていた。
「ええ、このように各コーナーを複雑な迷路のようにつくることでアドベンチャー的な広がりのある図書館に……みるたびに違う空間に引き込まれる…」
「ああ、ハイハイ。いま館長をよんできますので」

だけどもう、この図書館についての話は、あまりでてこない。
この「抹茶」はそういう話ではないからなのだ。



3



業務が終わるとスピーディに帰宅する。
休みの憩いの場はいつも近場だ。

八百屋で奥にいくと、そこの娘のハナエがでてきた。
「おっ、きたな。ま、あがりなよ」

このハナエとは、古くからの親友のはずだった。
それは小学校低学年から?それとも高校だったか、いや、学校を卒業して図書館の職員に勤めてから知り合ったんだったろうか。
なぜか、このハナエとの関係を思い出そうとすると、海の波があぶくでガバガバいうように記憶が海の底に沈むのだった。
ただ、ハナエと私は自宅友達ではあるけれど、学校は大いに別々に育っている。
近所なのに学校が違うのは東と西の学校の境界線で分かれているからのようだ。
ハナエにいわせると、「とっても偉い人に私たちは魔法をかけられて記憶を失っているの」という。

二人の間のルールに関してもそうだ。
弁護士といえど、法律の全部はうろおぼえなように、自分たちのルールが決められている感じがするのだったが、しかし、記憶があいまいなため、自分たちでも自信がないのだった。
「あんた、それは公職選挙法違反みたいなものだから!」
みたいな感じがするのだったが定かではないのだった。
「いや、…違うか。別に押し付けるつもりは…」
みたいにもめるのだった。

「ま、あたしは実家の八百屋を手伝うことにしたわけだけど。図書館勤務のあんたはどうよ。楽しい?」
ハナエはそういってなかにいれてくれた。
そこは普通の民家の一室だが、自分たち二人のリゾート地なのだった。



4


ハナエの実家の八百屋には大根しかない。大根しか置かない店にしたらしいのだ。
しかし、たまに気まぐれなのか、南瓜(かぼちゃ)が置いてあるのを私はみた。

そして私たちは、あまりに健康が過ぎるとき、手ぶらで楽なのが続いたとき、地位の低い人にされて苦しむのだった。
「図書館の仕事。わかってきた。手仕事がいそがしいときは精神的に重たいのが来ない」
「ふんふん」
「つまり、どっちか振り子のように重たいものが分割されてくるらしい」
「そして?」
「そういう見えないルールに気がついたとき……気がついてしばらくは攻略できるけど…ルールが辞書か六法全書みたいに違うルールに置き換わって気がつかないでいることになるの」
「ひゃー」

何かしているのは疲れる。図書館の司書だけで十分だ、私は。でも、無動作でいるのも苦痛である。なんとなく簡単にぶらぶらしているのが一番楽のようだ。

横になるのにいいマッサージチェアみたいなのに二人で横になり、窓を開けて日光を浴びる。
八百屋の裏の庭はちょっとした、素人が作った変わった庭園だった。
図鑑とかテレビに出るようなイングリッシュガーデンとかは異風さがない。
民間の個人の趣向からにじみ出る我流の庭はおもしろいアートだ。
プロのアートはみな似てくるのだろうか。
「ハナエ」
「ん?」
「図書館ってさあ、お金とるのもケチなら、タダで貸し出すのもケチってきがするよね」




5



図書館の午後、二人連れのおじさんがしゃべっていた。
「『若きウェルテルの悩み』ってリゾート地みたいだろ。現実だったら不気味だよ」
(ウェルテルか…ロッテだったっけ?あれってゲーテって勝手に実在の人物小説にしていいのかね)
そう思って棚をみるとゲーテの著作のかたまり、そのとなりに『バイロン全集』。
あのおじさんたちがユーターンしてきた。
「バイロンとゲーテを一緒にするなよ」
(ゲ、横に並んでる。うちの図書館)




「きたな、サナエ」

二人して結構いいイスを横にしてながまる。
夏で暑くなってきた。
湿度もあるか。
扇風機をまわして風に当たる。
「ハー、疲れた」
「疲れましたか。だいぶ息上がってるね」
「そりゃもう、百烈拳とかやっている体格はしてないからね」


テレビをつけてみた。
掃除機をかかえて男につっこむアニメがやっていた。
「何このアニメ…」

中国四千年の歴史。
「…ハナエ、あのさあ、中国四千年っていうけど、実際は七千年とか一万年いくよね」
「ふーん、サナコさん。あの掛け軸みてわかる?文明の地平線は数えないから四千年っていうんじゃないの」
「おサルさんかね」
掛け軸は印鑑をついたような、漢字でまじないの絵図みたいなものだった。
「…なんとなく伝わるきがする。読めないけっど、伝わる中国のカセットテープ」
サナコの頭に映像みたいのが浮き出て見えたきがした。
サナコは手のひらを広げてこういった。
「長安の都はあれからどうなりましたか?」
「なにそれ」
「これだけ日光を集めて文明をおこすのに、ものすごい難しいとわかりました。けれどもとっても危ないことだとも」
「文明もないとくつろげないよ、サナエ」
「あ、われに返った」
何人もの義人の義の上に法則のある世界が構築されるのかもしれなかった。
それは義がもろければ、銀河帝国の翼がギシギシと折れ、カシがった巨大帝国へとなる。
それは不安定な独楽のようであり、ポテンシャルは高いが大惨事をはらむ。




6



「抹茶のアイスクリーム食べよう」
天気がよかった。快晴といっていい。
怪談のかわりにアイスで暑さをしのごう、しのごう。

ハナコの八百屋のとなりの甘味処(かんみところ)
入ると席は埋まっているのに近かった。
なので頼んだ抹茶のアイスができると皿ごと花この家にはこんだ。
あとで皿は返す。
馴染みの店だった。

「うん、冷たい」
「抹茶の風味がさっぱりして甘さとあうよね」

ふたりとも夏場の安定気候と気圧の無神経さからバランスが崩れ、体調がよくなった。
「すごせるし」
「すごせるね」
体調の崩れが退屈をおいはらう。
よこになっていると涼しい。

「中国旅行に行って来たおじさんが買ってきたゲームやる?ボードゲーム」ハナエがそういった。
「なにそれ」
「麻雀と違って歴史に隠されたゲームだって。中国魔術の一種で秘密のゲームだとか」
「それって人気なくてはやらなかっただけじゃ」

中華風のサイコロがある。
麻雀パイの絵文字みたいだった。

ぶらぶら暇つぶしにその中国のゲームをやった。

サナコはなんとなくおもった。
自分は化学はよくしらないけど、大昔の錬金術とかで…
それは魔法陣から何かを呼び出すように、この世にない未知のものをとりだせるのだろうと。
魔法陣から呼び出される異形の悪魔は、自分たちの近所にいない。
それゆえ、隔離され距離が遠方の情報をもっている。
新鮮で未知の情報。

化学の魅力はこの世にありえないものを作りだす魅力で、それに似たものはたくさんある。
インターネットも、ウェブサイトの海から釣りをするように、獲物(サイト)を釣ったりできる。
ザッピングしていて釣果がよかったとかあるだろう。
工作もそうだろうし、買い物もある意味、自分に不足している新奇な何かを補充できる。
新製品のスマートフォンとかコンピュータは未知のなかったものをはらんでいる。
ありえないものをこの世に呼び出すのが化学の魅力のひとつなのかも。

サナコはいった。
「よくしらないけど、有機化学でサッカーボールの分子のなかにサイコロをいれたり、フラーレンだかで超電導とか」
自分たちには中国魔術のラジオがある。

図書館には呼んでない本が山ほどあるし、抹茶のアイスもまだまだ食べたい。
サナコとハナエは天気がいいだけでうんざりするほど、ダラダラしてすごせるのだった。

『則天武后の宝』
※この本は実際にあります。
この本を開いてめくって見た。
「難しい本の方がいいよ、ハナエ。頭に入る本だと、読まさるけど疲れる。頭が疲労するよ」
「チョイ難しい本、ながめて手を休めるとありがたい単語だけみつかるってわけね、サナコ」

ふたりは、そうやってダラダラと余暇を送ったのだった。











2015年5月19日火曜日

蛇


蛇




森鴎外の「蛇」というより、夏目漱石の「蛇」を参照して作っている。






1



海の防波堤でかなり先のほうまで歩いていた。
たも(網)を杖みたいにしていたら、乗っかるようによろけて、あやうく海に落ちそうになる。荷物を落とすか危ないところだった。
本当に防波堤から海に潜ったひとからみたら無難な話かもしれないが、一瞬のよろめきで落ちそうになるのは、別種の恐怖だったといえる。
なにより、荷物を海に落とすのは、想像してみるといい、嫌な気分になるとともに実害があり、海を汚すことにもなるし、とりもどそうと欲張ると、やな重労働をしなくてはないのである。
考えてみるだけで嫌だ。
だが、そうならなかったたのだし。
そう考えなおし、ほっとしてみる。

釣り人は二三名。
やや固まってあっちで釣っている。
自分も反対側に糸を垂らして釣り始めたが、やがて海を眺めていた。
海の水は別世界をあらわしている。
自分たちと常識の違う海の生き物の世界。
そこには人情と違う人情があり、社会生活をしている自分と違う藍色のきびしさがあるのだった。
その境界線が防波堤だった。

「あっ、大きい魚が見える」
それは海面よりやや深い位置を泳ぐシーラカンスのような大きな魚だった。
たもを入れるのも不気味だし、カレイならいいのだが、この魚が針にかかったりしたら気持ちが悪いのだった。
蛇がおよいでいるような、ウツボではないようだが、得体のしれない様が図鑑でみたシーサーペントの絵具絵みたいにみえた。
博物館にあるシーラカンスのようなさまは「ひいひいお爺さん」にみえてきた。
それは恐ろしくなる。
海の生き物なら気にしなくてよいのだが、人間相手の神経をつかわずにはいられない。
頑固で自分たちと違う時代を生きた老人の険しさ。
自分たちをうるさそうに逃げて、あっちで一人孤独に顔をそむけているような。
実際人間の胎児は魚類、両生類、爬虫類、哺乳類と進化するというではないか。
あの魚は本当に自分たちのひいひいお爺さんなのだ。
「おおい、お爺さん、そんな藍色の海の中で一人で何をしているんだ!?人間をやりなよ」
余計なお世話だろう。
無言で無視して魚はあっちの方にいってさらに見えなくなった。









日本怪談 雨垂童衆(あまだれわらし)


日本怪談 雨垂童衆(あまだれわらし)





まえがき

卒業して上に上がったり、違う土地に行ったり、人間は成長すると人生の場面が変わる。
あるいは成人してからでも、時間とともに場面が転換することはありうる。
その土地に移動すると女の子の印象がいい、居心地がいい。
誰か一人でなく、その土地の全般的な女性のインパクトが良い。
すると意識的には考えていなくても、潜在意識の中で、みとれて負けを認める。
すると、男性はその土地に「あー、ここだ、ここだ」とテントをはって陣地をとるようになる。
するとどうなるか。
架空の世界に関して今まで関心があったのがいまいち興味が持てなくなる。
頭にはいらなくなり、現実的な情報を欲しがる。
「いくら面白くてもおとぎ話だろ」
金を稼ぎたくなるというのもある。物欲にかたより、見たら消えてしまう情報(映画など)をやや失う。
こうなり、理論よりは技術。技術は現実の世界を動かすことができる。が、理論は絵空事との境界線に値する。社会的に空想物語から離れ、新聞記事、ニュースなどに傾く。

男の側も集団就職ではないにしろ、波動の位相がおもわずそろうのか、次々と陣地をとるようになる。そして硬い男性になる。
相変わらずコミックを呼んでいる組は「自分たちは永住する気はないから、どうぞご勝手に」となる。しかし、若干実体化している組に威張られて面白くない思いをする。
情報や理論組からみて実体化、物質化している組は野蛮だが大人で現実を見ており、結婚を無意識的に覚悟しているように見える。しかし、未来が限定され将来がないように見える。超常現象が苦手になり、今の自分をこえた力に対して頭を下げるが、自分以下の権力に対して頭を下げなくなる。新しくやってくる、自分の力以上の困難をのりこえる気力はなくなりがちだ。


西洋の怪奇小説、吸血鬼やモンスターの話はともかくとして、日本怪談の本質はずばり、「ままごと」なのだと思った。成長が止まってそれ以上の冒険をしなくなった男性は(それが青年のときであろうと、中年にさしかかっていようと)生活のサイクルが繰り返される。
怪談は幽霊が出るにしても、見間違いくらいであり、天辺地位や天地崩壊のような大それた現象は起きない。
いわばポテンシャルが低くなった人生の段階での怪異現象であり、冒険時代の危険だが何もかも覆すようなビックな、劇的な現象ではないのである。

この「雨垂童衆」は泉鏡花の「海異記」、森鴎外「蛇」を参考として書かれている。
実体験をもとにしているのではなく、理論的、解析的につくられた人工会談といえる。
古い言い回しが難しくうまくいかないが、ご了承を。








『雨垂童衆』



1



夏場の天気がいい日。
からっと晴れた空。
どこまでも塗りつぶしたみたいな青。
実に健康的だが、小学生の元気がいいのみたいに子供じみている。
意外と自分も体が健康みたいだよ。
という気分になるが、頭の方はまんじりと悪い気分になる。

意外と自分はおバカさんみたいだよ。
アイスでも食べて腹が崩れると神経のバランスが崩れてすずしくなるだろう。
そうでもなければ、にわか雨でもざーっとふらないか。
そう、夏バのバカみたいに青空、白い雲。
清潔すぎて潔癖だが、灰色の曇った雲と雨が、ちょうどいい具合いに神経質にしてくれる。

なんだかつい3年ほど手前より、比べて天気がどうのとか、近所がどうしたとか、小さいことに関心がいっている。
目まぐるしかった、このまえはそんなこと気にして過ごしている時間がなかった。


家内のサダコは庭にいるのか…
休みの日に、竹簡木簡(ちっかん・もくかん)は大げさだが、すずりをだして漢書を筆写してみている。
墨をおちついてこすり、ゆっくり時間をつぶして書いていく。
一時間ほどで手を止めた。
偉い先生がみたらペケをつけるだろうけど、自分で飾っておくには上出来だった。

「うん、上出来だ。専門家のひとにしたら認めてくれないだろうけど」

サダコが帰ってきた音がする。
なんでも数件先の旅館に外国人が来ているそうだ。
「へえ」
「それが、わたしたちが食べ飽きたようなオカズをみてやたらと喜んでいるっていってらっしゃるわ」
「へえ、どんな」
「魚がおいしいって、自分の国じゃ魚が食べられないっていう話よ」
「魚か、魚。まあ、おいしくてよかった」



2



夕飯を食べて休日がおわった。
住居のとなりにある診療所で勤務する。
木造の建物で自分で緑茶をいれて湯呑で飲む。
以前は看護婦を雇ったこともあったが、もうやめた。
ここの診療所にくるのは、風邪かヨードチンキをつける程度の患者で、骨折の患者をたまにみると冷や汗が出るくらいなものだ。
どうも、数年前より、自分の修業をあきらめたときから、自分と同一な人物としか合わないようになったようなのだ。
ドクトルとして最先端医療も勉強した。論文、研究論文も読んでいたし、専門雑誌で世界の医療に首をつっこんでいたつもりだった……
だが、読めなくなった。何を言っているのかタイムマシンに乗ったでたらめに読まさるのである。
現実、今あつかっている包帯やら医薬品やらを愛好するようになり、大切に扱っている。
以前野心的だったとき、古臭いつまらない小道具のように思っていたときがあった。



3


診療所にある時計と住居にある柱時計、それに愛用の懐中時計。
この三つの時計が自分の時計だ。
あとは、カレンダー。
これも時計だ。
今の自分にとって本当に動く大切なもの。
朝届く朝刊。
これも時計じゃないのかね。
夕刊をとったこともあったが、朝刊がはいらなくなりがちになる。
欲張らなくても、朝刊を読めば足りると気がついた。
しかし、どこそこの大企業がどうしたとか、自分と無関係の世間の時計の針が動いているだけで、自分にとって無関係に思える。
「こりゃ、古新聞じゃないのかね、サダコさん」
「あら、古新聞をだすのを忘れていたわね」
そういってあっちにいってしまった。

確かに新聞はわたしにとって動く時計だった。
社会や世間という時計が実際に動いている。
チクタクチクタク…
だまっていると、毎日同じ日が来る。
古新聞を黙って差し出されて呼んでいるのかと疑いたくなるのである。

インクの紙面の乾き具合だとか、小さいことで喜ぶようになった。
この小説はダイナミックな冒険小説のような恫喝はない。
だが、静かに生活を送っている人の温かみはある。
なにかをしている小説は読み手にとっても疲れることがある。
実際、活字を立体化させる脳と心にエネルギーのゆとりがないことには、読むのが億劫で、マラソンにも似る。



4


時計でなくても時計があった。
診療所の窓から見ると、夕日に近くなっている。
夏なので、うーん、こんな時間でもこのくらいか。
でも、勤務時間の終わりを悟った。

サダコは質素で清潔な女であったが、白い色の冷蔵庫の冷凍庫を開いてでてくる、製氷皿を取り出したみたいに、白い煙をあげているように感じる。
熱源として自分を吸収している気がするので、こっちからすると体感的に温度が冷たい。
それが、怪談の日常の生活の、腹を下すアイスクリームの変わりの幽霊現象の正体なのかもしれない。
電熱器や蒸気機関車の機械工学のようだが。
それにしても数年前、サダコをもらうまえの修行医師のときの自分には、体と心にSL機関車がそなわっていた。
それは男性であり、それが今はぱっくりと開いた、へその緒の穴がいまさら風船のように開き、夜空に向かってSLが走り去っていってしまったのだった。
あとにのこされたのは日常の連続だった。
あのころは超常現象がおきていたのか?
正確に思いだそうとすると、だいたいホラのような気がする。
大した思い出はない。

サダコは着物も襦袢も買って与えるくらいしか欲しがらない。
しかし、ドクトルとしての診療所の仕事での稼ぎは決してゆとりはなかったから、せいぜい知れた枚数の数であった。
だんだん気がついたが、開業医としての仕事はバクチ的要素が少ないらしい。
実際手を動かして、腹を痛めた分だけ手取りになるようなのだ。
思えばバクチをうっていた時分は修行していたころの自分なのだと思っていた。
あのころは反対に考えていた。もう少ししたらバクチをうとうみたいな。




5

「だんだん乾電池も単一が少なくなってきたよ。単二電池ばかりだ」
「あらそう。そうね」
お漬け物やら梅干しがどう違うかとか、そんなことばかり気にしているのに気がついた。
腹は確かに減るから時計は回っているらしい。

梅干しなど、すっぱいだけで飯をやりすごすだけみたいに、素通りしていた気がする。

飯を炊いている匂いがする。
味醂と醤油の匂いもする。
釜で炊く、白い米が煮えている様を想像した。
湯気をあげて米がそろっているかのように踊っている。
ぐつぐつぐつぐつぐつぐつぐつ
木製の飯櫃とへらでかき回すご飯。

それらは確かに自分にあたる御馳走だった。



6



旗日が来た。
カレンダーに確かにそう書いてある。
診療所を開け閉めするのは自分の管轄だが、不安になりサダコに尋ねたくらいだった。
休んだ。
新聞を広げる。
新聞小説を読んで、サダコに「おまえ、もしさっぱりしてきれいだといわれたらどういう気分になるのか」
「そりゃ、ゆるされたというのか、急に脱力したみたいに楽になりますわ」
「そういうものかね」

新聞を見ているとやっと時計の針が動いたというような記事をみつけて得意になった。
自慢できるという気分になる。

この時代でもビールがあった。
薬局に売っているのはもっと昔だった。
酔っ払って顔が赤くなる。





7


ドクトルの仕事の診療所はバクチ稼業ではないが、それにしても稼ぎがバクチにならないのが少し悔しい。
余分な収入とはいかないし、動かした分だけ、腹を痛めた分だけ、体が疲労してどうにもならなくなる。

おもえば、あのころの己の仲間の一人の男に、最先端の塊のようなやつがいた。
「あんな男と付き合う女は、かっこがいいかもしれないけど、疲れるはずだ」
そうみていた。
医者の勉強だけでなく、野山にも冒険にもいった、海にも。
しかし、時計の針を動かすといっても、エネルギーを無駄遣いして、時間を早送りしてしまっているような感じがする。
其のような話は砂糖汁を煮詰めて焦がして、喰えそうな香ばしいけど食えない茶色い焦げみたいな話だ。
時間が未来にむかってすすんだが、喰えなかったよ。
読書も、医学書は勉強の道具だったが、あらゆるジヤンルを読んだ。
が、流し込んだだけで、読み流すために読んだ気がする。
尋常小学からの勉学とは、生まれたゼロの知識から千年、二千年の知識を早送りするためにつめこむのであろう。
子供はそうするしかないが、大人になると無理な読書は現代を生きないで、天竺でくらすために時計のネジをまいているかのようでもある。

日本にいると中国四千年の歴史に秘宝や秘術が隠されていそうだ。



8


夏の天気は変わりやすい。
休日に万年筆で革のノートブックに漢書を筆写していた。
インク瓶にペン先をひたして、一呼吸置く。
紙にインクが乾きながらだ。
何どうせ、時間つぶしの娯楽だ。
高速で処理していたあの頃はスピードのある音速の乗り物に乗っていたのに違いなかった。
しかし、めまいがするわ、耳鳴りもするわ、体の骨を悪くする生き方だった。
しかし、手に職をつけるため、若いうちは仕方あるまい。
自分と異質な人間にも大勢あったな。
今は安全だが、限られた方の人間にしか出くわさなくなった。
どれ、すこし無茶をして冒険してみようか。

夏場の健康的な明るさと熱気がほどよく、あまりの安全と安心感が無粋にかんぜられる。
そのうち西瓜でも割る気配がある。表の庭にプールした水に浮かんであるのをさっき見た。

健全だが、意識がぼーっと無神経になっていた。
雷の音が先だった気がする。
ゴロゴロと神経が下りはじめる。
さらには太陽の日差しが隠れ、黒い夏場の雲にかわるや、さーっと溶けたような水が本当に落ちてきた。
初めて雨というものを見たような気持ちになった。
みぞれのアイスのような不安感が胃というより腸からおきはじめた。
「書きものなどすると、胃腸が神経質になる。脳みそに吸い取られるからかな」
不安定で不安なのが、夏の蒸しを快くしてくれた。

自分というものが、覚醒しているのに寝ているように確かになかった。
それが雨とともに確かにある。
それは物質化したといってよかった。
モノが確かにそこにある。そんな感じに近かった。

ふと頭がぼんやりからはっきりに移り変わる。
玄関に歩いていってみた。
すると、四、五歳の童衆がひとり立っている。
細君はどこにいったかいないようだ。
目に涙をためている。
白い足に草履をはいている。
子供の足だ。
ひょろっとして大根のような童衆の手足はやわらかそうだった。
目に涙をためて、わんわんわーんと泣き出した。
外は童衆の涙を倍にしたくらいの大雨になっている。

ズルを覚えた年の子だったらやだったが、清い小僧だ。
男の子なのは間違いないが、髪が坊主ではなく、のばして束ねてある。
着物も今時ではなくおふるの…
「己の爺さんの着ていたような」

なかにいれて手ぬぐいで頭をしごいてやった。
お茶を薬缶で沸かし、急須にどぼどぼいれた。
そとは涼しくなってきているので具合がいい。
湯気が特徴がある。
湿度とか気温の移り変わりでこういうとき特有なのだろう。
団子を出してきて喰わせた。
童衆はくやしそうに、団子をわしわしと食べる。
「全部食べるのか」
「わし、全部入る」
「吾はどこの子じゃ。どこから来た?」
「わし、……」
「男の子だな」
「そうじゃ」
団子をほっぺを膨らませて食っている。
返事を答えずに茶をずーっとあっちを向いて飲む。
童衆は甘えるだけ甘えた。

ぶるっと寒気がした。
幽霊の類だと嘘をいう風でなくいう。
ちょっと厠に、と立ち上がる。
もどったときには団子の皿と湯呑のお茶がなくなっていて、童衆はいなくなっていた。
ガラッと玄関の戸が開き、妻が雨に濡れて戻ってきていた。














2014年12月23日火曜日

太鼓をドンドコ



太鼓をドンドコ




ドンドコ  ドンドコ  ドンドコ


  太鼓の音が聞こえてくる。


   ドンドコ  ドンドコ  ドンドコ


 大きなお寺の境内に大きな太鼓が幾つもあり、

何人もの人が太鼓をたたいている。


   ドンドコ  ドンドコ  ドンドコ


  みんな無心でたたいている。

月が黒雲に隠れて空は暗くても、

あたりはかがり火の焔が明るく照らす。

  太鼓をたたいている人たちは、疲れないし、おなかもすかない。

ただ、太鼓をたたいている。


   ドンドコ  ドンドコ  ドンドコ


 太鼓をたたいている人たちは何も考えない、眠くもならない。ただ、太鼓をたたく。


   ドンドコ  ドンドコ  ドンドコ


 太鼓の音が、その人たちの罪を消していく。

 この世の人たちの罪も消していく。



   ドンドコ  ドンドコ  ドンドコ

   ドンドコ  ドンドコ  ドンドコ

2011年6月28日火曜日

雪おんな

雪おんな



然る(さる)大名に仕えていた川衛門(かわえもん)という武士がいました。
家内と老いた母を家に残し、お上の命で長旅に出ることになりました。然る都(みやこ)の役人とやりとりするための旅でした。馬にのって道中をあるき、やがて峠が見えてきました。峠を越えようとすると、峠の手前に村があり、そこで冬を越すことになりました。馬をやすめ、農民の小屋に泊めてもらい、火にあたりました。なんでも雪山には雪おんながあらわれるということで、村人が毎年氷漬けにされるという話でした。
川衛門は話を聞き「それなら、拙者が退治してやる」と、村人に話しました。
ある日、村人のひとりが雪おんなを見たと川衛門にいいました。
川衛門は雪山に登ってゆきました。雪道を昇るに従い吹雪が強くなり、引き返そうと思ったとき、白ずくめの女が目の前に立っていました。
川衛門はハッとして、身構えましたが、左手首をおんなにつかまれていました。普通、女の力は男の力でも、とても侮れないほど強い力がありますが、この雪おんなの腕力はか細く、枯れ木の枝が腕に触れているかの如くでした。ところが川衛門がふりほどこうと力を入れても、凍りついて磁石のようにはなれません。川衛門はだんだん左手が氷りついてくるのを感じました。右手で脇差を抜くと雪おんなの腕ごと切り落としました。
ザン!!
雪おんなの腕の切り口から真っ赤な血がこぼれ、白い雪に赤く染みわたりました。
見ると、雪おんなは歯ぎしりしながら、川衛門を睨みつけています。
川衛門は今度は長刀を抜くと、おどりかかって雪おんなに斬りつけました。
しかし、雪おんなは雪煙にまぎれ消えてしまいました。
雪おんなの腕はつららになって川衛門の左手に凍りついていました。
村に戻り、湯につけるとつららは溶けて水になりました。左手は凍傷にかかり、完治するのに春までかかりました。
峠を越え、然る都につき、役人をたずね用事を足しました。雪おんなの話をすると役人は怪訝な顔をしましたが、何もいいませんでした。
都を見物し、出店で櫛を買い懐に入れ、乾物屋で乾物を求め、道中を引き返しました。
家にもどると土産の櫛と乾物を家内と母にわたそうとすると、家内の左手が手首から無くなっています。驚いてわけを訊ねると、まき割りの最中、斧をすべらせたのだそうです。
何年かのち、お上の命で再び都を訪ねることになりました。
雪山で川衛門は再び雪おんなにあいました。
長刀をいきなり抜くなり、有無を言わさず雪おんなに斬りつけました。
雪おんなは右手で刀の刃を握り、抑えつけました。刀で手のひらが切れるどころか、刀ごと凍りつき、腕まで凍りつく勢いでした。川衛門は右手で脇差を抜くとまだ凍りついていない自分の左手を切り落としました。
寒さのせいか出血は少なく、川衛門はとび跳ねて後ろに下がると走って一目散に逃げました。
春になり、峠には櫛が落ちていました。
家に帰ると子供が生まれていました。家内も老いた母も川衛門の失くした左手を見て驚きました。櫛のことを訊ねると、川で洗濯をしたとき、うかつに落として流してしまったとのことでした。それならと拾った櫛を代わりにあげました。
川衛門と家内は左手を失くした隻腕の夫婦として息子を育てました。
息子が10になるころ、川衛門はもしやしたらあの雪おんなは家内だったかも知れぬと考えました。老いた母もそのころ亡くなり、川衛門は弔いました。
隻腕の夫婦の一人息子は長じて、剣と馬の名手となりましたが、弓矢だけはどうしても的にあたることはなかったとのことです。
(2011.6.22)