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2013年9月14日土曜日

パァンとサアカス 第二部 第三部

『パァンとサアカス』












8 第二部


銀行での彼の評判は気難しい人になっていった。「難しい男だよ彼は」彼のレッテルは愉快なソルコリギター・ソリィコギッチからこうなっていった。エスーフエルフ・マロマデシャはパミラ・ミミトンの店で彼が気難しい男になっていったことを話した。「歳なんだよ。あれだけ砕けていた彼が、」パミラ・ミミトンが思い出すように言う「背広が自棄に几帳面になった感じがする」「それどころじゃない。銀行で彼はなんと、昼休みに模型の船を組み立て始めたそうだ」「夜は眠れられるのかしら」「旅行にでも行くことを勧めておこうか」

9 


亡くなったものがあった。その夜、結構な年寄りで、もはや大往生だが、若いころに犯した罪を告白して逝きたいという。ソルコリギター・ソリィコギッチを呼んでくれと怒鳴り、願いがかなえられた。ドアを開けて家族の前に立った彼はこういった。「ご家族のご老人は天国へ逝きました。彼が犯した罪は私が譲り受けました」
ソルコリギター・ソリィコギッチはこのように人々の罪を集め、罪で作ったはしごを天にかけ、登ろうとした。
そのとき、彼の影のみが梯子を上り、人々の罪と悪を集め星座にして天に固める仕事をするようになった。
はしごから落下した、ソルコリギター・ソリィコギッチは頭を打ったが2週間の入院で元の生活を送るようになった。

第二部完




10 第三部



エスーフエルフ・マロマデシャはパミラ・ミミトンの店でソルコリギター・ソリィコギッチのことを話した。「私は見たんだ、ソルコリギター・ソリィコギッチが罪で作られたはしごを天にかけ登ろうとしたところを。
まるでアルツイバーシェフの『深夜の幻影』(原題:偉大な知識の話)かチェホフ(モスクワ大学で医学を学ぶ。職業作家として確立)の『黒衣の僧』さながらの光景だった!」
イワン・タリャーゴフはウォトカをすすりながら、訊いた。
「それで、ソルコリギター・ソリィコギッチはどうしてるのさ」
エスーフエルフ・マロマデシャが答える「ああ、はしごから落下して今は入院している。彼の影ははしごをのぼっていき見えなくなったがね」
「見てみたい光景だわね」パミラ・ミミトンいう。
ピョートル・イアアはいう。「確かに見てみたい。現実を超えた幻影的なビジョオンを。しかし、ルサルカ(水霊)のことは何か調べたのですか?」
エスーフエルフ・マロマデシャは分厚い百科事典のようなものを取り出しカウンターのテーブルに置いた。
「これだ!この本。日本の著書『妖怪大百科』。世界で妖怪に一番詳しいのが日本人だ。日本の連中は金があり、忙しくてはしこいが、頭がいいため創造力が豊かだ」
「なるほど、それを読んだのですか?」ピョートルが興奮して尋ねる。
「いや、ソルコリギター・ソリィコギッチのお見舞いに行き、暇つぶしとして置いておく。奴は(入院して)ひまだからこの『妖怪大百科』を読破するだろう。それを待て」





11 作者中文


作者は2010年当時、題名をはじめは「ソルコリギター・ソリィコギッチの一日」からはじめて、「罪人と悪い人」、最後に「パァンとサアカス」に変更した。“ソルコリギター・ソリィコギッチの一日”はいかにもロシア文学という雰囲気が欲しくてつけたタイトルであり、気に入っていた。しかし、なんとなく聞いたことがあるような気がして、茂木健一郎の「脳とクオリア」(日経サイエンス社)を調べてみるとやはり「イワン・デニーソヴィチの一日」(ソルジェニーツィン著)という小説がでてくる。人物名も『ロシア系人名』+『一日』というタイトルも、忘れかけていたが、ここから来ていたのだと気づいた。タイトルをドストエフスキーの「罪と罰」を参考に「罪人と悪い人」に変更。しかし、誤解を招きかねない大げさなタイトル名に嫌気がさし(ロシアっぽさが欲しいだけなのに、内容が犯罪と贖罪をテーマにしているよう)。さらには「パァンとサアカス」におちついた。

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ソルコリギター・ソリィコギッチは入院生活が終わってからも、体の不調がまだ完全には治りきらず、日常生活は普通に可能であったが、職場に復帰はまだ先のことであった。
入院中の彼は、飾り気のない病室の白に包まれた(実際それは白だった、白・白・白・白しかなにもない。カーテンも窓の枠も、シーツも)空間で考えた。療養中の人間にこんな分厚い本が読めるのだろうかと。
彼は往来を歩きながら考え事をした。(あの本は持ち主に返した)
今の時代、不思議な絵はグーグル・バズにあふれるほどある。大昔の人はペルシアの魔術師が、口から火を噴いたり、サーベルを飲み込んだり、杖を蛇に変えたり、不思議な光景を楽しんだ。めったにないだけに待ち、楽しみにしていた。不思議な絵の需要は今日増えたのだろうか?それを描いて、喰いたいという者が増えたのだろうか?あるいはドストエフスキーの
『罪と罰』は不思議な絵のように不思議な話だ。あの時代、文章が不思議な絵の代わりを果たしていたのだろうか?今は映像の時代だ。物語に昔の文学のような不思議さは必要なくなったのかもしれない。世界文学など、物語を楽しむのではなく、日常生活に風を送るフイゴの役割を兼ねていたのかもしれない。今は不思議な絵がある。あるいは小説。小さい説!世界文学など、登場人物が難しい論文を述べるシーンがあるが、まさに小説は物語にあらずして小さなご高説なのだろう。ストーリーがごくわずかで説が多量にある。現代文学はストーリーとご高説は分離しているのか。映画、画像、物語、ご高説、不思議な絵………やあ、ソルコリギター・ソリィコギッチ!退院したようだけど元気かい。退院誰が退院?…また、ウォトカでも…ウォトカとは現代ロシア語でどういう意味だった?
ここで、僕ははじめてピョートル君に話しかけられていることに気がついた。

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突然だが、エスーフエルフ・マロマデシャの職業は医者だった。
ロシアで開業医を開いている。彼の妻は、トルトニューニャといった。「論文『禁煙者の心理描写』が手に入った。さっそく読んでみる。うん、ドストエフスキーの小説みたいだ」

禁煙者の心理描写

禁煙して2日になる。

これ以上とてもお見せできません



ソルコリギター・ソリィコギッチは小説を書いてみた。タイトルは「最後の日本人」だ。日本人の人口が少なくなり諸外国の人口がその分増える。
自分が書いた原稿を読み直して、ソルコリギター・ソリィコギッチはペーチカに原稿をくべた。


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ソルコリギター・ソリィコギッチが完成しなかった原稿の腹いせに、ビールを飲みに行くと、マルメラードフと名乗る男が話しかけてきた。サヤエンドウを注文し、待っている時のことだった。彼が自分の元住んでいた地方でのニュースだが、と話しかけてきた。ソルコリギター・ソリィコギッチは今朝新聞でそれをおぼろげに読んでいたが、それに関して対して関心はなかった。しかし、知ったかぶりをするような話し方に腹が立ち、語気を荒く否定した。否定の根拠は何もなかった。彼はマルメラードフの何が自分を興奮させたのか、分析し、理解する。そんな余裕や時間がなく、語気を荒く否定することを行動することが先にきた。彼は頭が愚鈍なのでもなく、性格が暴力的なのでもなく、ひたすら自分を理解する行動をとらなかった彼を冷酷だと分析したためだった。マルメラードフの言葉の何が憤りを感じさせるのか法則が見えれば、自分はそれをしないで、相手を怒らせなくても済む。冷酷だと分析。分析というより恐怖を感じた。飽いての攻撃心ではなく、事実を述べようとすることの冷酷さを。そのときの彼には事実が怖かった。エスーフエルフ・マロマデシャなら『甘やかす』とは事実を述べないで偽りを述べることなのかと考えだすところであろう。
マルメラードフはもうソルコリギター・ソリィコギッチを相手にせず、サヤエンドウをもって別のテーブルへ移動していた。
エスーフエルフ・マロマデシャが後ろの席で一部始終を見て苦笑いをしていた。
「ソルコリギター・ソリィコギッチ君…最後まで私に気がつかなかったね。二杯目のビールが温くなるけど、注文しておくか」



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「まあ、一杯目のビールは冷たい。飲みたまえ」
エスーフエルフ・マロマデシャはビールをソルコリギター・ソリィコギッチについだ。「私の、“恥ずかしいという感情は恐怖ではなく罪悪感が薄まったもの”という説だがーいや、6年くらい昔の説なので、何かの本の引き写しだったかもしれない、脳科学の本の受け売りかも。パァソナル・コンピュータを買う前なので、その時のノートがない。紙の本には検索が不可能でそれもできない。しかし、電子書籍など目が疲れそうだし、頭が痛くなりそうで、やはり紙のほうが脳に柔らかくはしこい」
「ああ!」やはり、エスーフエルフ・マロマデシャの言葉をきいていなかった、ソルコリギター・ソリィコギッチはパミラ・ミミトンの店に行くことにした。「どこにいく!ああ!ソルコリギター・ソリィコギッチ!」
店ではイワン・タリャーゴフがパミラ・ミミトンの絵を描いていた。「これだ、絵を描く画家と居酒屋の店主。絵になるいや文章になる。この画家は久しぶりに店に訪れたということにしよう。昔懐かしい仕草で居酒屋料理をこさえる店主の娘!恋人たちの再会!ラブストーリだ」
「おい、おっさん!俺たちはいつから恋人どうしになったんだ!?」イワン・タリャーゴフはつっこんだ。パミラ・ミミトンがいう「気色悪いよ。誰が恋人同士だよ」「今から、君らは恋人だ!それも数年来の」


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エスーフエルフ・マロマデシャが話を聞いて答えた。
「パミラ・ミミトンとイワン・タリャーゴフが恋に落ちない?よろしい。楽しさが親しい感情を生み出すなら、悲しみが愛しい気持ちを呼び覚ます」

エスーフエルフ・マロマデシャの若き日の恋物語

私は若い頃、時計屋ではたらく時計職人だった。
若き、私が恋をした相手はお客さんだった。
「あの、この置き時計の修理をお願いします」
「ああ。はい。3日後にまた来店してください」
「わかりました。よろしくお願いします」
私はこのお客さんに恋をした。
あまりの愛しさに手元が狂い、ひとつの部品を壊した。
あわてて、予備の部品を組み込んだ。
しかし、また次の日、部品の一つをなくした。
あわてて、違う部品を組み込んだ。
明日が、この時計を受け取りに来る日。
これで、もう会えなくなるのかと思い、
胸が張り裂けそうだった。
最終チェックのとき、またネジが狂った。
とうとう、すべてのカラクリを取り換えることになった。
表向きはお客さんの置き時計だが、中身のカラクリはすべて別の時計になっていた。
3日後予定通りお客様は受け取りに来た。
「今度、時計が狂ったときは無料で修理しますので、中を開かないでください」
これが、若い時の恋の物語だ。


パミラ・ミミトンがたずねた。「ふーん。何の話それ。TVでやってる?」
イワン・タリャーゴフがきいた。「医師免許はいつとった?」
ソルコリギター・ソリィコギッチ「今の奥さんは?」
ピョートル・イアアはいう。「俺たちの話と似ているよな」
ヘクトリューシャがいう。「日本のラジオ小説で同じのをやっていた」


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パミラ・ミミトンの店ではコショウをかけて食べるアイスクリームが流行した。朝食を浮かしに食べに来る貧乏学生や仕事帰りの女性などの間で人気商品となった。ソルコリギター・ソリィコギッチが夕飯を食べにやってきた。ソーセージを頼んだが、いくら切っても白脂肪しか出てこない。ジューシーな肉汁の代わりに無味な脂肪にスパイシーな黒コショウ。デザートにコショウのアイスを頼むつもりでいた。隣のテーブルにマルメラードフが座った。白パンを注文し塩をたらふくかけて喰っている。ビールも注文した。ソルコリギター・ソリィコギッチはアイスをあきらめ、ビリヤードの玉突きをはじめた。ソルコリギター・ソリィコギッチが手にしたキューは長さ145cm、重さ538gで、直径1.2cmのタップがついていた。手球(てだま)をキューでつき、的球(まとだま)をはじいた。カコン→コゴン↓カンッ↑次々的玉はポケットに落ちてゆく。マルメラードフは無表情でパンに塩をかけて喰っている。さらにハムも注文した。ビールで喉を潤す。ソルコリギター・ソリィコギッチはしまいには一発の手玉で的玉をすべてポケットに突き落した。マルメラードフの何かがビールをもう一本注文させた。コップにビールを注ぐ、冷たいビールがのどに流れ込む、キューが玉を突く音がする。ガゴタッ!痛いくらいの辛いのど越しが胃の中に流れてゆく。短い時間の中にクオリアが様々に変化する。単位時間あたりのクオリアの変化量はどのくらいだったのだろう。


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ピョートル・イアアはカウンターでドストエフスキーの『罪と罰』を読んでいた。(『罪と罰』はこの時代の娯楽なのか否か?教養。教養と何か?それは置いておく。しかし、この文学は教養であっても、この時代の娯楽ではありえないのではないだろうか?どう読んでいても、楽しくないし、面白くない。いや、面白い小説なら、チェホフの『黒衣の僧』やドイツ小説の『ロカルノの女乞食』『蜘蛛』『イグナーツ・デンナー』などがある。これらとの違いは物語のスジだ。筋があるから面白い。オチがある。『罪と罰』など、スジやオチが少なすぎるほどない。この時代、教養と娯楽は一緒くただった。そう想像してみる。仕事や勉強などの実利あるいは純粋な楽しみのほかに教養というのがある。役に立たなければ、楽しくもないが価値のあるものだ。あえて楽しもうとするから醍醐味なのだと解釈することにした。『罪と罰』はそういう感じの本なんだ。しかし、主人公は日本の或るマンガの敵役にそっくりだ。)ここまで考えると彼は本を閉じた。「『罪と罰』かい。モスクワじゃ今流行だよね。面白いかい?」パミラ・ミミトンがピョートル・イアアにいった。「教養だよ、ミミトンさん」「見ないけど、ヘクトリューシャは今日は一緒じゃないのかい?」「彼女は今、家で『罪と罰』を読んでいる」「キエフじゃ“日本の盆”が流行っている。線香の匂いとお供えの果物の甘い匂い。線香だけでも独特の甘い香りがあるが、追いかけるとやはり白骨化した甘さだとわかる。お供えの数種類の果物が混ざった甘さ。これだけだとアルコールやエーテル、アルデヒド類の刺激で酔う。ふたつが混ざるとき、安心と刺激のハァモニィイが感じられる。安らぎと興奮。キエフの音楽家が今これを研究している」


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ピョートル・イアアはしばらくのちパミラ・ミミトンの話にあるキエフへ仕事でいくことになる。噂の音楽家の演奏がコーヒーハウスでは、ながれていた。復活祭のにぎわいと新鮮な建築物。モスクワとは違う華やかさがあり、シベリアに鉄道でいった夜の凍える寒さを思い出し、仕事先がキエフでよかったとほっとした。外国商人の屋敷があった。
のぞいてみると、追い払わられるかと思いきや、中に案内された。
アラビア風の広間があり、さらにその奥に扉ではなく、開けた広間がもう一つあり、こちらからは壁がじゃまして、その奥が見えない作りになっている。
甕がある。中身は何かわからない。大きな鉢植えの珍しい植物が飾り付けてあり、青と白のじゅうたんが敷いてある。奥の壁には絵がかけられている。4分の3ほど見えるが、残りは隠れて見えない。さらに奥にと思ったが厳しくとめられた。


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イワン・タリャーゴフは自分の部屋でグーテンモルスキィさんの雑誌記事を読んでいた。

芸術家において、いや、あらゆる生割りにおいて、一番疲れる、そして一番手を抜きたくなる、実際手を抜く作業は中途半端に慣れた作業であります。どんな楽しい作業でも、それに慣れるに従い、疲労を感じやすくなります。はじめは神経が高ぶりペン先が疲れません。慣れるとその作業が確実に可能なのに、疲れる。不可能かもしれない。自分では、しかし、できるかも?この状態のときは疲労しない。生割りとして定着するに従い、疲労してゆく。作家では、書きなれた登場人物で当たり前のセリフを考えるとき一番疲れる。自分にできるかできないかの仕事のとき、疲労が一番少ない。趣味は疲れない。本職(生割り)はひどく疲れる。



  生割り:生活のための役割。つまり職業。


イワン・タリャーゴフは小テーブルに置かれた玉ねぎ入りのスープをすすり、雑誌を机の上に放り投げた。(ふーん。このグーテンモルスキィさんは何の小説を書いているんだ。今、モスクワではやりの『罪と罰』、…キエフでは音楽が流行らしい。パミラがいっていた。―― …『罪と罰』は
あれは、「お尋ね者」なんだ。あの時代、娯楽小説として読まれたものは今はない。残っていないだけで当時あったはずだ。『罪と罰』は娯楽じゃないからなのか、価値があるからか残った。娯楽小説は読んでいて楽しい奴が主人公だ。あるいは英雄、ヒーロー、ヒロイン。しかし、気がめいるような主人公の『罪と罰』は西部劇の「お尋ね者」「首に賞金100万ドル」なんだ。つまり、罰あたりだと軽蔑されるための主人公なのだ。吊るしものにするために彼はいる。『罪と罰』の主人公は?違うか。それなら当時の犯罪者を新聞が叩いてるのを読めばいいだけだろうか。自分にもこういうところがあります。ごめんなさいという、懺悔した気分になるための小説か?しかし、気がめいる。悪を喜ぶなら、日本の或るマンガなどの悪役のようにスカアァッとする、様に書かないのはなぜか?)


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イワン・タリャーゴフが『罪と罰』をめくりながらつぶやいた。
(似顔絵描きの客が少ない…グーテンモルスキィ(罪と罰の作者はドストエフスキー)さんーどうします・か?小説を書く?『罪と罰』≪ペラ≫―いつの間にか金が入って飲み食いしてるけど、どこからきたんですか?ラスコーリニコフ(罪と罰の主人公)さん、せっかくもらった金を捨てないでください。家庭教師のバイト?翻訳のバイト?金のないモスクワ大学の医学生の小説にするか……-苦学生。小説の原稿の裏にパミラ・ミミトンの店の広告を載せる。路上で配る。ソルコリギター・ソリィコギッチの銀行は無理か?ピョートルは何の生割りなんだ?あいつ。エスーフエルフ・マロマデシャ。彼は開業医だよ、広告?ラスコーリニコフみたいにシリアスだな。今のオレ。ヘクトリューシャは良家の娘で生割りは家事見習いか…。




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ヘクトリューシャは考える。雑誌を読みながら。暇なとき、本当に何もしないでいられるだろうか?暇つぶしに雑誌を読むのは、何もしないと退屈で脳はかえって疲れるからだ。何もない部屋で、一人で3時間!考えると、そう考えると本当におぞましい。過度の学習、極度の仕事など、人を疲弊させるが、適度に脳に負荷がかかっている状態が一番脳が楽を感じる。そう思った。
だから、本当の娯楽とは、適度な負荷を脳にかける。雑誌記事として、暇つぶしによいのは難しすぎず、簡単すぎずの記事だ。
列車に乗っているとき、何もしないのに、退屈しないのは車窓からの景色があるからだ。これと、動いている、等速直線運動か加速度運動かこの感覚が退屈しない。

娯楽―きちんと整理された情報。絵なら絵、火山に関する文章、レストラン情報。-適度に乱れた情報の集まり…ー…おしゃれな、なれびかえー…退屈しないようなー雑誌


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午前10:00頃。
パミラ・ミミトンの店で、ソルコリギター・ソリィコギッチとイワン・タリャーゴフがコーヒーを飲んでいた。砂糖はふた塊でた。「キエフの音楽家のレコードをかけてみた」ソルコリギター・ソリィコギッチがいう。「これがキエフで流行りの音楽か」イワン・タリャーゴフがいう。「いや、実は小説で飯を喰おうかと思って」ソルコリギター・ソリィコギッチが怒鳴った。「飯を喰うとかいうな!印象が悪くなる!表に出たまえ!イワン・タリャーゴフ君!」パミラ・ミミトンがいう「レコードが聞こえないよ」
午前11:00
エスーフエルフ・マロマデシャは映画情報雑誌を読んでいた。
日本の映画「港駅」はおもしろい。ナレーションと映像のみでストーリーが進行し、最後に主人公が誰なのか分かる設定。日本の文化を知っている日本人より、よく知らないロシア人のほうが楽しめる。
グーテンモルスキィの映画情報
PR:同時上映『深夜の幻影』『白鯨』


「おもしろそうだな、映画を見にいくか」


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エスーフエルフ・マロマデシャは映画館に入り、缶コーヒーを買った。
辺りが静かに暗くなり、言い含められたようにざわつきが静かになる。教師ならうらやましがることだろう。(始まったぞ。楽しみだ…日本映画か…)


『港駅』



ロシア語吹き替え版



ナレーション
日本国。朝方4:45。空の闇はつい数分前より赤らんでいる。日本の朝焼けは、夕焼けと似ているが、詩人によってはその違いを描き分けられるだろう。家を出、ひとけのない道路を駅に向かう。車はまれだが、こんな時間でも走っているのもいる。国道になると、トラックがすごいスピードで道路を何台も突っ切っている。初夏の早朝の駅は駅員のほかキオスク(日本の駅で新聞や雑貨を扱う売店)の店員はまだ出勤前で、学生に見えるやや太めの日本女性のみだった。赤いジャケットを着ており、昼間には暑苦しそうだが、今の時間にはちょうどよさそうな厚さだ。頭にはロシア帽に似て非なるかぶり物を巻いている。
缶入りのグリーンティを飲んでいるが、今の時代の日本人の学生なら、砂糖入りのジュースを買うのが普通らしい。その意味でこの女学生は風変わりとさえ言える。

列車は調子よく線路を走る。やがて≪長屋≫がみえてきた。日本の≪長屋 ≫、となりを≪おとなりさん≫といい、友人でもあり、赤の他人でもあり、米や醤油を貸し借りしたりする。土地がロシアと違い狭い日本では、長屋でうるさくすると隣が迷惑する。≪困り者≫が長屋にひとりいるだけで居心地がわるかったりもする。
松の木柳の木がまばらに見えてきた。
線路がカーブに曲がりくねりすべてが見えなくなる。
さらにトンネルだ。
ガー…―――――――!!!
真っ暗だ。夜の闇なんてものじゃない。
白黒?いや黒一色。
ガー ――――― ゴッ!!
トンネルを抜けた。
海が見える!!青いオーシャーン!!


映像が暗くなり、明かりが段階を踏んでつき始める。幕間だ。
(トイレに行くか)

24


パミラ・ミミトンは二十歳で、背は割と小さく、小さい割にはしこくエネルギーが詰まっている。玉ねぎのような頭で、束ねた髪が飛び出ている。
「パミラ・ミミトンの恋人?」ピョートル・イアアは驚いてそういった。
「そんな人いたの?」ヘクトリューシャもいった。
「なんでも1年に4回帰ってくるらしい。春夏秋冬に」ソルコリギター・ソリィコギッチはいった。
「名前は?」ピョートル・イアアは聞いた。
「タルテモンド・タルヤョーヴナという。ミミトンから聞いたから確かだ」イワン・タリャーゴフはいう。「スナフキンは春に戻るが彼は、4回戻ってくるらしい」
「生割りは?何の職業を?」ヘクトリューシャがきく。
「たぶん謎の男だ。ジプシーなのかも」イワン・タリャーゴフがいう。
「パミラ・ミミトンの店のオーナーだという説とひもだという説の二つがある」ソルコリギター・ソリィコギッチはいった。「しかも、推定年齢28歳だ」
「私より一つ下くらいだよ?」ピョートル・イアアはいった。



25


幕間が終わり、映画がはじまる。

列車を降りると簡単なプラットホームがあり、人の流れに従い、港駅へ。
駅のお弁当屋では≪釜めし≫が売っている。そのほか海産物が売り出されている光景が見える。やはり≪キオスク≫があり、何か買い物している年配の婦人が見える。しなびた、港駅食堂があり、食事をしているお客さんが数人いる。そのほか日本料理店なども通路の脇に店舗をかまえている。
港駅の特徴は、駅と港が接続されており、列車を降りてすぐ、旅客船に乗ることができる。



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「しかし、二十歳の女の子にひもでたかるのか?パミラ・ミミトンの恋人は?」ピョートル・イアアはいう。
「わかった!“『罪と罰』は“ひもで飯を喰うつらさ”を描いた文学なんだ。前半は。ラスコーリニコフ(罪と罰の主人公)はナスターシャ(下宿の主婦(※おかみ)の女中)のひもらしきところがある。だからあんなにすさむんだ」イワン・タリャーゴフがいう。
「飯を喰うとか口に出して言うな!イワン・タリャーゴフ君!」ソルコリギター・ソリィコギッチは怒鳴った。
「日本の小説の『人間失格』系文学が罪と罰の前半の前のほうなんだ」
「あなた、まだ初めのほうしか読んでいないんでしょう。罪と罰」ヘクトリューシャがいう。
「日本の映画の『港駅』が人気らしい」ソルコリギター・ソリィコギッチはいった。
「パミラのいうキエフの音楽家とかじゃないの?」ヘクトリューシャがいう。
「いや、キエフの音楽家はモスクワとシベリアには決して来ない。アラビア風の屋敷の主人がミミトンの恋人だ!あったわけではないが、キエフに行ったとき、中に入った!あれならミミトンの店のオーナーになれる」


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エスーフエルフ・マロマデシャはすっかり映画に見入っていた。

駅と旅客船に渡るさい、渡し板が駅と船をつないでいた。駅の搭乗口と船は限りなく、くっついていたがわずかに隙間がある。その隙間から海が見える…。もし、落ちたら…、落ちるわけはないのだが、(小さい子供でもその隙間からは落ちないだろう)そう考えると不安を感じないわけにはいかなかった。旅客船は漁港島に向かう。ほんの短い距離だった。漁港島は限られた狭い世界なので、≪困り者≫がいても、叩き潰すというわけにいかない。限られた人数の世界では、それをやると気まずくなって、すぐに島の空気が息苦しくなるのである。広い ≪本土≫なら、仲間外れになる≪困り者≫もここでは周りが≪苦虫≫をかみつぶしながら、我慢している。
しかし、限界をこえて≪悪さ≫をした困り者は島を追放される。古来、日本では≪島流し≫という刑罰がある。罪人を島に送り、追放する。漁港島は、その手の島ではない。島から追放される困り者は≪島はなし≫という。
20分か、そこらで船は漁港島に着いた。
「やあ、さっちゃん!久しぶりに島に帰ってきたんだね。妊娠したとか?みんな早っく、初孫がみたいとかさわいどったよ!」


28



エスーフエルフ・マロマデシャは、グラスを傾けながら「あれはいい映画だった『港駅』。…」といった。
「パミラ・ミミトンの恋人?」
エスーフエルフ・マロマデシャは今までの情報や憶測を聞かされた。
「なんでも、パミラ・ミミトンはそのとき憎悪(ぞうお)に満ちた目で語っていたとか!?…」
エスーフエルフ・マロマデシャはいった。「そういう人は『港駅』を見なさい。心が洗われる」






29


エスーフエルフ・マロマデシャは自分の医院の診察室で疲れていた。「患者はまだ行列かい?」「行列です。先生」「次の患者さんを呼んで」「はい」
健康のために禁煙したいという患者だった。
「禁煙に成功した人の体験談にこう書かれてます、煙草とは何かをこう話しています。“お金を落として、探しなさい。見つかったとき、あなたはよろこばいしい”つまり、禁煙すると一服して≪おいしい≫と感じる状態が、普段のあなたの状態になると。たばこを吸いたい欲求はお金をあえて落とした状態で、わざと損した状態を作っている。一本の煙草を吸うとは
落としたお金を拾って得した気分になっていることだと。ただし、はじめて煙草を吸った時は明らかに快感を感じます。禁煙するとき、その時の快感を苦痛として、返還するような状態です」
患者は診察室をでていった。
「あと、なん人患者がいるんだい」「次の患者を呼んでもいいですか?先生!」
『禁煙成功者の体験レポート』
医療雑誌をみつめて、エスーフエルフ・マロマデシャは思った。
(禁煙…私もしてみるかな…)


30


エスーフエルフ・マロマデシャが、患者が途切れて、医療雑誌をめくる。
看護師がいう。「患者さんがいなくなって、何をするかと思えば、雑誌をめくって?どっちも仕事なんじゃないんですか。休めばいいのに?」
(今どきのロシア青年は喫煙をどう思うのだろう?なになに、煙草や酒など体に悪い楽しみはやめてほしい?世のロシア帝国に楽しみはあふれている。何がよくて煙草を吸うのか?酒だ女だ煙草だと体に悪い楽しみはやめて、健全な楽しみを見つけて欲しい。なるほど、若い世代のひとらしい。酒だ女だ煙草だとは古いロシアの象徴なのか?イワン・タリャーゴフ君。彼は不良ロシア人だ。大多数のロシア青年はこう思うのか…)





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